acas社長 大浦昌尚ブログ
カーテンが開いた 1
夢の家フェスティバルを開催させていただいたり
保育園のお仕事をさせていただきたいと思い
ご依頼いただけるあてもないのに
保育園の設計準備を始めたり
今の夢も「木の香りするホスピス」を
創らせていただきたい
それも老人のみならず
子どもホスピスをと思っているのは
今回からご紹介する新聞のスクラップ記事に
25歳の時に出逢えたからだと思う
社会部の植松実さんという記者が書かれたのだが
何新聞の記事なのかはわからないし
紹介されることでお叱りを受けるかもしれないが
こんな素敵な記事を書かれる記者で新聞社だから
大丈夫だろうと勝手に思い
今週から6回にわたり紹介させていただきます
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『カーテンが開いた』1
桜が淡く紅化粧を始めるころ、一台の巨大なクレーンが姿を消す。
入院中の子どもたちと工事作業員が、互いに心を通わせた思い出の「塔」だ。
子どもたちにとって生の証(あかし)、生きる喜びでもあった。
舞台は神戸の兵庫県立こども病院。話は一年近く前にさかのぼる。
■こども病院の“生”
「なにがええかなあ」。男が悩んでいた。関吉和明。45歳。大手ゼネコンの社員。
芝浦工大を出て、今の会社に入り、各地の工事現場を回った。
作業所長として、須磨区の子ども病院にやってきたのは一昨年6月。
じっとりと雨が降っていた。
請け負ったのは出産前後の赤ちゃんと母親を対象とする周産期センター建設。
27か月のロングラン工事だ。
全国から重病、難病の子らが集まってくる。予備知識はその程度だった。
が、その認識が甘かったことに気づくのにそう時間はかからなかった。
時折、所長室をのぞいて世間話をしていく院長に教えられた。
■できること無いやろか
一生ベッド生活を強いられる子。酸素吸入器を離せない子。
小さな棺も初めて見た。病気と懸命に戦う子どもたちへのいとおしさが募った。
心の痛みも広がった。
「励ましたやりたい。わしらにできること、何かないやろか」
そんな思いは関吉だけではなかった。
現場の男たちのすべてがあれこれと思いをめぐらしていた。
■こいのぼりをつるそう
一年前の春の夜。関吉は仕事を終え、川西市内の自宅へ車を走らせていた。
伊丹の自衛隊前に差しかかった時、カーラジオがこいのぼりの話題を伝えた。
「これやッ!」。関吉は車を止め公衆電話に飛びついた。
作業所のダイヤルを。主任の安達聡(37)が出てきた。
「人形屋にすぐ電話してくれ。クレーンにこいのぼりをつるそう」。
安達は驚いた。しかし、言われるままに電話帳をめくった。
(敬称略)1994年(平成6年)2月7日
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