acas社長 大浦昌尚ブログ
高津宮井戸掘りものがたり《第1章完成編》
浪速高津宮での井戸掘りについてを
高津宮の機関紙「たかきや倶楽部通信」に掲載頂いた
うれしいので全文をここで紹介させていただく
令和5年4月2日、例年よりも早い春の訪れに桜の花びら舞い散る晴天の中「高津大和ノ井戸」が完成しました。
井戸を掘るのが目的ではなく、それはあくまでも一つの手段であって、コミュニティの創造が目的だと、人力の手掘りにこだわって令和元年の春に始まった井戸掘りプロジェクトは4年の月日を経て第1章を終えることが出来ました。このプロジェクトには国籍、性別、年齢、職業など関係なく延べ300名を超える人が参加してくださいました。改めて参加し、応援し続けてくださった高津宮の皆さま、氏子の皆さま、近隣の皆さま、参拝の皆さま、経営実践道場大和(旧盛和塾大阪)の仲間、そして本当に泥だらけになって掘ってくれた多くの仲間に感謝します。
令和5年4月2日お披露目会決定!
人力による手掘りにこだわったために氣付けば3回目の正月を迎えようとしていました。このままではいつまでたっても完成しない。参拝に来られた方からも「もう出たか?長いこと掘ってるけど何年や?」と聞かれる回数も増えてきました。「よし、完成の日を決めよう!いつにする?」「4月2日!」「決定!」誰がどの根拠で言ったかは覚えていませんが決定しました。ただ、この時点では水脈には到達していたものの水は茶色いままだし、あとどれだけ掘れば大丈夫なのかさえもわかりませんでした。
3度目の大きな試練
そんな矢先、井戸を掘るための「掘り鉄管」というパイプが底に引っ掛かり、「すん!」という感じで命綱のロープが切れてしまいました。手ごたえのないロープを引く手が冷たく痺れます。重たい鉄のパイプは地下16mに沈んだままです。「まずい、ヤバイ」仲間の心の声が聞こえてきます。それぞれ顔を見合わせて「大丈夫!大丈夫!いっぺんお昼ご飯食べて考えよう」笑顔で言い合います。決して強がりではなかったと思います。過去にも2度ロープが切れてしまったことがあり、その時も信じられないような奇跡的な救出劇があったからです。食事をしながらどうやって掘り鉄管を救出するかを話し合います。16m先がどのような状態なのかはわかりません。わからないからこそ冗談みたいなアイデアを試してみます。そして先ずは全員で本殿に向かって「高津の神様、どうぞお力をお貸しください」と真剣に祈りました。今までもこの祈りで奇跡が起こってきたから真剣です。結果、重い鉄管が磁石に引っ付いて続いて、2㎜ほどの出っ張りにフックが引っ掛かって引っ張り上げるという奇跡が今回も起きたのです。
神が手を差し伸べたくなるくらいにまでがんばれ
3度目の試練を乗り越えた後に4月2日に向けていよいよ手押しポンプの発注が必要になりました。メーカーさんと打ち合わせたところまだ2m近く掘る必要があるのではないかということです。完成披露まで残り2か月…。カウントダウンが始まった中でさらに試練を与えてくださいます。そんな中、ふと本殿の横の掲示板を見ると真新しいポスターがありました。「神が手を差し伸べたくなるくらいにまでがんばれ」私たちが師と仰ぐ稲盛和夫氏の言葉です。昨年の8月24日に亡くなられた天国からの励ましの言葉でした。ぎゅっと胸が締め付けられ目頭が熱くなりました。
新聞に載っていたのってこれ?
3月24日産経新聞の夕刊一面のトップに「地域潤す伝説の井戸」という記事が掲載されました。その時から「新聞に載っていたのってこれ?」と声を掛けてくださる方が増えました。ある年配の男性は子どものころ近所に住んでいた。今回新聞でこの井戸のことを知って数十年ぶりに来たんだとその当時のお話をしてくださいました。井戸を掘ってくれて新聞に載らなかったら来れてなかったかもしれない。ありがとう。と言ってくださいました。その他にも新聞を見たという方がたくさん来てくださいました。
高津大和ノ井戸の命名に込めた思い
「大和」と書いて「だいわ」と読みます。大きく和するという意味です。井戸の周りは井戸を掘るにあたって出てきた石を積み上げて造っています。色々な大きさや色々な形、色々な色、色々な種類の石を積み上げて造っています。長細い石やゴツゴツの石、丸いツルツルの石もあります。中には瓦のかけらもあります。この瓦のかけらを見た年配の方は「ようさん瓦、出て来たやろ?近くに瓦屋町ってあるやろ、大阪城造る時に瓦つくっていたところやで」と教えてくださいました。いつか子どもが「なんで瓦なん?」って聞いたときにこんな会話が出て来そうで楽しみです。
さて、本当に沢山の方たちと井戸を掘ることが出来ました。国籍、性別、年齢、職業など関係なくです。力がある人は力で、知恵がある人は知恵で、差し入れで、声援で、笑顔で、笑いで、祈りでそれぞれがそれぞれできることで参加して井戸を掘ってくれました。どの人ひとりかけても完成は無かったと思います。みなさんの力で造り上げたのです。
これを色々な石で表現できればと思いました。20年後、30年後、この井戸を見た人が「なんでこんなに色んな石を使って、なんでこんな形なん?」って思った時に「色々な人の力で造り上げたのだって」と誰かが語ってくれれば平和だろうなと思いました。
国歌君が代は「君が代は 千代に八千代に 細石の巌となりて 苔の生すまで」です。小石を私たち一人ひとりに例え、その小石の集まりが大きな岩となり、その大きな岩に苔がはえるまで永続するイメージを井戸で表現しました。井戸の下部はでこぼこの四角形、上部へ向かい大きな輪ととなるように仕上げます。でこぼこ(個性)を削って丸くするのではなく、でこぼこ(多様性)を認め合い皆で協力し合い、補い合い和することで大きな輪になることを目指す。平和な世の中を目指し、皆で大和(大きく和する)する世の中にしていきたい。そして神社という場所は誰もが集いそのようになる場なのだと願っています。
井戸を掘り始めたころに井戸掘りの歌を作って下さった方がいました。
「人よ人の輪 広がる明日の世」こんな歌詞です。まるでこの時から名前が見えていたかのようです。
今回、私たちが造らせていただいたのは井戸掘り第1章です。まだまだ完璧ではありません。次の人たちが第2章、第3章と平和な世の中を願い繋いで造っていってくださることを、大きく和してくださることを願っています。
井戸掘りメンバー 大浦昌尚