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比土平
雅彦
Masahiko Hidohira
惑か或
2014.11.21
金曜日担当の比土平です。
孔子をモデルにした万年筆を見つけました。
人物をコンセプトにした万年筆があるのですね。
国語の授業でしか触れたことはありませんが、
孔子の言葉の、
子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
は、
それぞれの年代の時に、
なんとなく意識していました。
40才になるときに、
まだまだ迷ってばかりでしたので、
普通の40代ははもう迷いがないの?
とも考えていました。
しかし、
この不惑の「惑」は「或」であり、
「四十にしてくぎらず」で、
すなわち、
「狭い枠にとらわれることなく、
自由に物事を見る事が出来るようになった」
という解釈の説があることを知りました。
どちらが正しいのか私は知りませんが、
「或」のほうが、
五十にして天命を知る、
につながりやすいように思いますし、
どっちが正しいのか等々・・・
いまだ惑ってばかりですし、
勇気づけられるような気もします。
四十にもなって・・・
今までこれでやってきたから・・・
等はとても窮屈ですし、
何が正しいのかは、
後になって初めて分かることの方が多いような気もしますし、
やはり不「或」の40代を生きようと思います。