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二川
健一
Kenichi Futagawa
R・H・ブラントン
2021.08.18
前回のブログで少し触れた横浜のまちづくりに大きく貢献したというイギリス人土木技師のR・H・ブラントン氏。
欧米との科学・工業技術に追い付くことが急務であった明治初期。
祖国で鉄道会社の土木首席助手として鉄道工事に従事していましたが、日本政府に雇われて、1868年に来日し、1876年に帰国するまでの8年間、おもに日本全国の灯台の建設に携わりました。
イギリス軍艦に乗って灯台の建設場所の選定・設計・測量を行い、技術者24人を指揮して灯台建設を進めたとのことです。
携わった灯台は26基を数え、その1/3以上が現役とのこと。
建設に必要なセメントやレンガ積みの技術を教え、灯台を守る人の官舎を設計もするなど「日本の灯台の父」と称される功績を残したと言われています。
ブライトン氏は灯台の仕事以外でもさまざまな活躍をしています。
大火事で荒れ果てた横浜の居留地を近代的な市街地にする街づくり計画に参画しています。 実測を行い、防災にも十分配慮して広い道路や鉄橋、さらには下水道や街頭なども含めた多くの設計図を作成したといいます。
また、東京-横浜間の鉄道や大阪、新潟、横浜の主要な港づくりなどにおける提案や助言など、数多くの案件の相談や依頼にこころよく応じ、発展に寄与したといいます。
いわばコンサルタントの先駆けのようなものだと思われます。
日本政府からの依頼はあくまで灯台の設計・設計だけだったはずが、やがて都市計画にまで貢献しています。
ただ単に技術・知識があっただけでなく、人柄や誠実さが素晴らしかったのが容易に想像できます。
また、そのチャレンジ精神も見習うべき偉人だと思います。